2012年5月16日水曜日

『仏教の世界(上)』読了

NHK文化セミナーで1998年4月〜6月に放送された講座のテキストです。

この当時、自分はみうらじゅんの「見仏記」にはまっていたので、その影響で買ったのでありました。
本というか雑誌というか。
NHKの教養番組のテキストは、内容が広く浅くできているので、ちょっと面白そうかな〜と思った時に読むと、丁度ぴったり来るのです。
このテキストもその流れで買ったのだけど、「チョムスキー再考」と同じく買っただけでそのまま放置…15年ものと相成りました(^^;。
古くなることはない題材なので、別にいいと言えばいいのですが。
ちなみに下巻は買ってないです。
下巻は遅れて発売だったので、買い忘れてそのままだったのかも。



ブッダが出家を志す時の話でよく出てくる四門遊観。
若き日のブッダが城から出かけようとすると、老人に、病人に、死人に出くわす。
人は何のために生まれてくるのか、苦しむためなのか…。
そう思い悩むのだけど、四回目に北門から出た時お坊さんに出会い、自分の進むべき道を悟る…とまぁそんなエピソードです。

この時ブッダが見た老人や病人、実は浄居天(じょうごてん)という神様が化けた姿だったんだそうな。
それはそれでいいんですが、不思議なのはその後。
ブッダは最初東門から出て老人にあい、南門から出て病人にあいした訳ですが、その度にお付きの者が「老人なんか見せて」「病人なんか見せて」って、父である王から叱られてしまうのですね。
なので三回目、西門で死者を見せる時、浄居天様は配慮した。
ブッダが死者を目にしていることが他の者に判らないように、予め術をかけておいたのだそうな。
死者を目にしたのはブッダとお付きの者だけなので、お付の者が叱られることなく、なおかつブッダに死者を見せるのに成功、ミッションコンプリート。

…配慮といえば配慮なのだろうけど。
でもなんか、これだけ聞いてる(読んでる)と、何だかすごく小細工っぽくありません?
わざわざ老人や病人に化けて、ブッダの行列から見える場所によろよろと出ていくとか、叱られちゃ可哀想だからと気まぐれ(っぽく思える)な配慮をしてみたりとか…。
自分はついチキチキマシン猛レースのブラック魔王を思い出してしまいました(^^;フキンシンデゴメンナサイ



あと、テキストの最初の方には、ブッダのご先祖様に関するエピソードなんかも紹介されています。
どちらかというと、そちらの話のほうが面白かった。
ガンジス川流域にオッカッカという王がいて、たくさん子どもがいます。
中でも四人、非常に出来の良い王子がいたのだそうな。
この四人とは別に第一夫人にも王子がいます…この子が第一王位継承者なんですが、あまり出来がよろしくなかった。
なので第一夫人は一計を案じます。

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いちばんよいことは、第一夫人である私が、オッカッカ王に親愛され、そして他の夫人にまさることが大切なのだ。そこでまず情でもってオッカッカ王に迫った後、理屈でおさえこんだらよいのだと考えました。
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↑この文は自分で書いたのではありません。テキストからの抜き書きです。「理屈でおさえこむ」ってスゴい表現ですね(^^;

閑話休題。
結論から言うと、四人の王子は非常に優秀だ、どの王子も民衆に支持されている、だけどそれが災いの種、国に残しておけば人民は支持する王子ごとに分裂し互いに争うだろう…と、そういったことを王様に吹きこんで、王子たちを国から追い出してしまうのです(この時追い出された四番目の王子がブッダの祖先)。
直接ブッダに関わる話というわけではないから、こんなエピソードを紹介している本は多くないだろうけど、コーサラ国のプラセーナジット王の話とともに、もっと詳しく読んでみたくなりました。


そして上の二枚の画像は何?ですが…。
これは海洋堂の仏像アクションフィギュア「リボルテックタケヤ SERIES No.001 多聞天」です。
長い間見ているとつい欲しくなってしまうのですが、いかにも闘神・武神といった面持ちで実に格好良い。
もし手元にあったら、カンフーポーズとか取らせてみたいですね*^o^*。

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