2012年9月1日土曜日

『非色』読了


有吉佐和子の本を読むのは久しぶりだ。
誇張抜きで20年ぶりくらいのはず。
なんせ読んでいたのは20代の頃なのだから。
その頃読んだのは『香華』『芝桜』『木瓜の花』『開幕ベルは華やかに』『悪女について』『夕陽ヵ丘三号館』…これで全部だと思う。
とてもパワフルでぐいぐいと引き回される、それでいてくどくならない絶妙な文章だ。
その言葉の流れの中に身をおくのは実に気持ちが良く、お気に入りの作家の一人であったのだ。

…それでいてふっつり読むのを止めてしまったのは、積極的に読んでみたいと思える題材の本がなかったから。
上に上げた作品群であっても、積極的に読んでみたいと思って読んだ本って、実際無いのである。
それじゃ何で読んだのか。
それは橋本治が褒めていたから。
それで気になって読んでみて、「おお、なかなか良いではないか」と思い、でも一冊だけでは判らないからまた何冊か読んでみて…の結果が上記リストになったという訳。

そのため有吉佐和子は自分にとって、少し微妙な位置にいる作家なのだ。
読めばどれも絶対楽しめるはず、それは間違いない。
だけど本を手に取る、その食指が動かないのだな。



そして今回、20年ぶりの有吉佐和子、『非色』である。
--あらすじ--
終戦直後黒人と結婚し、ニューヨークの貧民街ハーレムで、人種偏見の蔑視にもめげず我が子を育て、ニグロとして生きる日本女性の気概を描く。
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↑は新潮社の「有吉佐和子選集」第八巻の紹介として書かれているもの。
…もう読み終わった後だけど、この紹介文では自分はやっぱり手に取る気にならない。
それに正しくこの小説を紹介していないと思うし。

この話、主題は「差別」である。
差別、蔑視、偏見。
差別する側の視点、される側の視点。
戦勝国と敗戦国。
皮膚の色。
プエルトリコ人、イタリア人、ユダヤ人。
アフリカの黒人とアメリカの黒人。

その中において、主人公の笑子は基本的には「傍観者」なのである。
黒人訛りの英語を話すためGHQの仕事を得ることができないという差別を受けながらも、
それは彼女自身の属性に基づく差別ではないが故に、
その差別感は彼女の上を通りすぎていく。
彼女にとってこの差別は、日々の糧を得るために頑張らなければならないことが多少増える、それだけのことである。
それは渡米した後も変わらない。
「人種偏見の蔑視にもめげず」なんて形容は、笑子について使える文言ではないはずなのだ。
少なくとも最後の最後までは。



最後の最後で何が起こるのかは触れないでおく。
頭で考えることと、心で感じることは、やはり全然別物なのだ。
考えても考えても考えても答えは出ない。
だが笑子は「今ここで生きていく」のに必要な回答を、心によって手に入れた。
それは頭が考えていたこととは全くレベルの異なる回答で、だけれども絶対に必要な物だったのである。
やっぱり有吉佐和子はすごい。

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