2012年8月26日日曜日

芥川龍之介を読んで

ジムでステッパーをやりながら、昔のPDAで青空文庫を読んでいます。
黒岩涙香の『幽霊塔』もこの方法で読んだのですが、その前に読んでいたのが芥川でした。
青空文庫に登録されていたものを50音順にかたっぱしから読んでいたのですが、これが辛いのなんの…。

はっきり言って詰まらないのです。
まるで自意識過剰な子どもの文を読んでいるよう。
うんざりします。

…ということで一旦打ち切りにしていたのですが、後で「藪の中」が芥川だったことを思い出し、比較的名の知られているものは一通り読んでおこうと思い直しました。
「比較的名の知られている」の基準は、wikipediaに名前が載っているかどうか(超てきとー(笑))。

一通り読んでみての感想ですが…うん、やっぱり小説として書かれているものであれば、そんなに鬱陶しくはないみたい。



青空文庫には小説だけでなく随筆も含まれているのですが、最初は50音順に読んでいたのでそれも読んでました…でもこれが特にひどかった。
身の回りのことや家族や友人のことを書いている文だけど、随筆と呼べるようなものではない気がする。
ただだらだらと起こったことを書き連ねているだけ。
出来の悪い子どもの作文のよう。
その出来事に、自分は何を思い考え感じたのか…そういったことが殆ど感じられない文章です。
あってもコンプレックスを下敷きにした警句みたいになっており、それにもまたうんざりさせられます。

一方小説の方は。

頭で考えられた文章です。
きっちり計算して書いてると思います。
まるで国語の教科書に、テキストとして使われることを想定して書かれた文のよう。
「羅生門」「鼻」「芋粥」「蜘蛛の糸」「蜜柑」「トロッコ」などなど。
「○○は何故ここでこう思ったのか。理由を示している箇所の先頭五文字を抜き書きせよ」などという設問が、幾らでも作れそうな文章です。
それは決して悪いことではないのだけれど、でも全部を説明されてしまうと詰まらないのもまた真実。
芥川龍之介って、一々なんでも説明しないと気の済まなかった人なのだろうか。

「偸盗」「地獄変」「邪宗門」…割とお気に入り。「邪宗門」が完結していないのは実にもったいない。
「南京の基督」「奉教人の死」…人智を超えたものの存在をつい願ってしまいます。
「仙人」…落語のように人を喰った話。こんな話も書けるんだ、とかなり意外でした。
「藪の中」…やっぱりよく判らない話。けれど三人とも、男は自分が殺したと言ってるのね。生き残ってるもう一人がやったんだ、ではなくて。この男、誰からも(自分自身からも)必要とされていないようでちょっと哀れ。
「六の宮の姫君」…確か山岸凉子が、これをモチーフにした短編を書いていたはず(「朱雀門」というタイトルらしい)。自分には山岸凉子のような解題はできず、「ふーん…」で終わってしまいました。
「侏儒の言葉」「猿蟹合戦」「大導寺信輔の半生」「河童」…なんじゃこりゃ。自分にとっては時間のムダ以外の何物でもないです。



ということで、読んだ話の数の割には気に入ったものが少なく、やはり芥川は自分とは縁の遠い作家なのかと思いました。
次からは夏目漱石を読む予定。

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