「いつもの」バーカーではないことは最初から判っていたけれど、ここまで違うとはねぇ…。
読んでいる時の文章のリズムが、いつもとぜんぜん違うのです。
もともとの原文からして違うのかな?
それとも訳のせい?
特に会話のところです。
相手がまだ台詞を言い切っていないのに、それを途中からひったくって、自分の考えを継いでいく。
キャンディ(=主人公の少女)の性格を判りやすく伝えるためなのかとも思ったのだけど、何かどうも違うみたい。
あ、自分が把握しているキャンディの性格は
「頭の回転が早く、察しが良い」
「一般に言う行儀が良い・礼儀正しい子どもには該当しない」
「人の顔色を読むのに長けている」
というものです。
少なくとも1巻目、ホテルの女主人との場面まではそうでした。
あともうひとつ考えたのが、昔の児童文学のような人物造形にならないようにしたかったのかということ。
E・L・カニグズバーグの小説に出てくる子どもたちも、キャンディに近い話し方をしていたような気がするのです(最近読んでないので記憶違いかもしれませんが)。
昔々の子どもではなくもっと現代に近い(できれば90年代以降の)少女を書きたかったのではなかろうか、と
…でも全然違いました。
だってね。
その後で出てくるキャリオンと祖母の会話も、
竜退治人一行の会話も、
ファントマヤ3姉妹の会話も、
多かれ少なかれ、全部「相手がまだ台詞を言い切っていないのに、それを途中からひったくって、自分の考えを継いでいく」スタイルなんですもん。
直前に読んでいたのが『冷たい心の谷』だったので、そこでの会話スタイルとのギャップがすごかったです。
なんでアバラットでは、こんな喋り方させたんだろう?
もともとの原文からして違うのかな?
それとも訳のせい?
などと否定的なことを書きつつも、でもお話自体はちゃんと面白いのでございます。
多くの方が書いていますが、やはり2巻目に入ってからですね…
夢のなかでのキャンディと母の交流とか、
初めて間近に出会うキャンディとキャリオンの下りとか、
水没したチキンタウンでの戦闘とか。
キャリオンもキャンディも存在自体が多層的で、まだ全てが明らかにされていないからこそ「その奥」を考えさせられ、興味を引かれてたまらないのです。
『アバラット2』で一旦小休止となった感じですが、まだまだ話は全然終わっていません。
『アバラット3』が日本で読めるのはいつになるのかな…。
それに映画化の話はどうなってるんでしょう?
原作がまだ完結してないから、それを待ってるのだろうか?
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