昨日出してもらった薬が良かったのか、今日は喉があまり痛くないです。
夜も思った以上によく眠れて、すっきり目覚められました。
熱もあまり無いし、明日以降もなんとかなりそう。
ちなみに昨日はジム行きますと書いたけど、
後で測ったら多少熱があったので行きませんでした。
今日は読書の話題。
先日書いた「岡本綺堂は大丈夫だけど、芥川の方は古さや自意識が妙に鼻につく」の続きです。
似たような現象が、昨年丸谷才一の『年の残り』を読んだ時にもあったことを思い出しました。
昭和臭が濃厚に漂う文章でした。
昭和に書かれた昭和の話なので、昭和臭がしても全然変ではありません。
でもその匂いは、風俗・事物の描写から来るものでは無い気がしたのです。
芥川龍之介に感じる古さも、
丸谷才一に感じる昭和臭も、
同じ所に根があって漂い出てくるのでしょう。
でもどこから?と言われると、それはまだ判らなかったりして。
映画なんかも同じです。
60年代に撮られた、60年代を舞台にした映画と、
2000年代に撮られた、60年代を舞台にした映画とは、
観た時に感じ取る匂いがやっぱり違う。
もっと言えば
60年代に撮られたシェイクスピアものの映画と、
2000年代に撮られた同じシェイクスピアものの映画は、
やっぱりぜんぜん違うと思う。
コンピュータで画像処理したりして、
映像的には最近撮られたものと遜色ないレベルにアップデートしたとしても、
ぜったい同じ感触にはなりません…ならない筈です。
映画の場合は、演出とか、カットの繋ぎ方とか、カメラワーク、台詞回しなど、
ビンテージ感の原因になるものを挙げやすい気がします。
でも小説の場合は文章だけですからね…
どこからそんなビンテージ感が出てくるのか…
とりあえず文中の風俗・事物描写ではないのは確かだけれど…
まぁ今後の研究課題ですね。
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