2012年4月10日火曜日

ビンテージ感


昨日出してもらった薬が良かったのか、今日は喉があまり痛くないです。
夜も思った以上によく眠れて、すっきり目覚められました。
熱もあまり無いし、明日以降もなんとかなりそう。

ちなみに昨日はジム行きますと書いたけど、
後で測ったら多少熱があったので行きませんでした。


今日は読書の話題。
先日書いた「岡本綺堂は大丈夫だけど、芥川の方は古さや自意識が妙に鼻につく」の続きです。

似たような現象が、昨年丸谷才一の『年の残り』を読んだ時にもあったことを思い出しました。
昭和臭が濃厚に漂う文章でした。
昭和に書かれた昭和の話なので、昭和臭がしても全然変ではありません。
でもその匂いは、風俗・事物の描写から来るものでは無い気がしたのです。

芥川龍之介に感じる古さも、
丸谷才一に感じる昭和臭も、
同じ所に根があって漂い出てくるのでしょう。
でもどこから?と言われると、それはまだ判らなかったりして。


映画なんかも同じです。
60年代に撮られた、60年代を舞台にした映画と、

2000年代に撮られた、60年代を舞台にした映画とは、
観た時に感じ取る匂いがやっぱり違う。


もっと言えば

60年代に撮られたシェイクスピアものの映画と、
2000年代に撮られた同じシェイクスピアものの映画は、
やっぱりぜんぜん違うと思う。

コンピュータで画像処理したりして、
映像的には最近撮られたものと遜色ないレベルにアップデートしたとしても、
ぜったい同じ感触にはなりません…ならない筈です。


映画の場合は、演出とか、カットの繋ぎ方とか、カメラワーク、台詞回しなど、
ビンテージ感の原因になるものを挙げやすい気がします。

でも小説の場合は文章だけですからね…

どこからそんなビンテージ感が出てくるのか…
とりあえず文中の風俗・事物描写ではないのは確かだけれど…
まぁ今後の研究課題ですね。

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